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静岡地方裁判所 昭和39年(わ)77号 判決

被告人 篠津元三

昭一〇・一〇・一九生 無職

主文

被告人を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中一〇〇日を右の刑に算入する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三四年四月頃、当時清水市相生町一〇六番地で簡易料理店「えびす屋」を経営していた宮田よし子(当四六年)方に客として出入しているうち、同女と情交関係を結ぶようになり、その後約一年ばかりは同人方で同棲していたが、同人の母ふで(当八二年)が同居するようになつてからは同棲をやめ時折旅館などで会い関係を続けていたが、元来被告人は酒癖が悪く飲酒しては乱暴したりすることがあつたので、よし子との仲も次第に疎遠になつてきていたところ、昭和三九年二月一六日午後一一時過ぎ右よし子に会うため前記「えびす屋」を訪ねた際、右ふでおよびよし子の長女礼子(当一四年)から、よし子は不在である旨告げられ、一旦は帰宅すべく同店を出て静岡鉄道新清水駅まで行つたものの、既に終電車も発車した後であつたので、どうしたものかと思案するうち、ふと最近よし子から「あまり度々来ないでくれ」と云われたことや、右ふでが以前から被告人とよし子の関係を知り快しとしない態度を示していたことなどを想いうかべて、ことによるとよし子は同店にいるのにふでが被告人とよし子を逢せないようにしているのではないかとの疑念を抱き、翌一七日午前零時過ぎ頃、再び前記「えびす屋」に赴き、右ふでに対し「店にとめてくれ」と申し向け同女がこれを断わり帰宅を勧めるのも聞き入れずそのまま同店内の座席で寝ていたところ、右ふでの依頼によつてかけつけた同店隣家のバー「かりゆうど」の手伝人神谷共一(よし子の甥)およびその友人植野殖らから「ここは宿屋じやないぞ、早く帰れ」と屋外に連れ出されたうえ、右植野に手挙で顔面を殴打されたので、同人らの仕打に憤慨すると共に、右ふでや神谷共一らが結託して被告人とよし子を逢せないようにしているものと邪推して益々憤激し、右よし子がコンクリート陸橋ガード下を利用して店舖兼住居に使用している前記「えびす屋」に放火して欝憤を晴らそうと決意し、同市大和町一〇番地出光興産清水支店に赴きガソリン約一〇リツトルを購入して同店の二〇リツトル入ガソリン携行罐(昭和三九年押第六四号符一号)につめてもらい、更に点火の際使用するため同店からサーヴイス用マツチ一個を貰い受け、これらを携えて右「えびす屋」附近まで引き返し、人通りの杜絶するのを見はからつて同日午前二時ごろ、右店舖入口硝子戸、硝子窓等にガソリン約五リツトルを撒布してその一部を右硝子戸、硝子窓の隙間等から同店内に滲出させて同店内部に右ガソリンによる可然性蒸気(爆発混合気体)を発生せしめ、同店内にあつた煉炭コンロ(昭和三九年押第六四号符二号)内の火気に引火爆発させ、もつて現に人の住居に使用する右よし子方二階建店舖兼住宅一棟に火を放ち、同店舖内客席腰板および板壁の一部を焼燬したものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張について)

弁護人は、本件被告人の所為は未だ放火の実行行為に着手したものと云うを得ず放火の予備行為にすぎない旨主張する。

しかし、犯罪の実行に着手があつたかどうかは、主観的には犯罪構成要件を実現する意思ないし認識を以つてその行為をしたかどうか、客観的には一般的にみて当該犯罪構成事実を実現する危険性ある行為がなされたかどうか、換言すれば各個の事件について、具体的に如何なる方法、行為によつて当該犯罪を遂行しようとするかを観察し、その行為により結果発生のおそれある客観的状態に到つたかどうかを考慮して決すべきであると解するところ、前掲各証拠によれば、本件において、主観的には被告人が本件建物焼燬の意思の下にガソリンを撒布したことについてはその証明十分であり、又、客観的には、被告人によつて撒布されたガソリンの量は約五リツトル強に達していること、本件建物の構造は国道二号線にかかる陸橋を利用して建てられているためその主要支柱および外壁部分はコンクリート造りとなつているが、右ガソリン撒布個所である同店出入口支柱や出入口硝子戸、硝子窓など戸や窓の枠、桟等はすべて木材により造られ、内部はベニヤ板張天井、ベニヤ板壁、ござ敷客席、木製カウンターを使用し、一階を簡易料理店営業用店舖に、二階を被害者宮田よし子とその家族の居住用に造作せられていること、右店舖は店内が極めて狭く(土間の奥行約二・四メートル)又台風の時や大雨の際には表側の二枚引違の出入口硝子戸やその左右にある外開き式の硝子窓の硝子と木枠の間や硝子の合せ目、或は木枠と敷居の隙間等からかなり多量の雨水が内部に滲出し、これが店内コンクリート敷の土間に溜るような状態であつたこと、本件犯行当時右店内の土間中央部附近で出入口より約一・五米の場所に煉炭の火気の存する煉炭コンロ(昭和三九年押第六四号符二号)が置かれていたこと及び本件当日は晴天で特に指摘すべき程の風は吹いていなかつたことが認められるのみならず、以上の諸事実については、被告人としてもこれを認識し或は被告人と同様の立場に置かれた普通人であれば認識し得たものと認められる。右認定事実に照すと、被告人は本件建物焼燬の意思の下にガソリンを撒布したものであり且つ右行為により本件建物の焼燬を惹起すべきおそれある客観的状態に到つたものというべく、従つて被告人は放火の意思をもつて放火罪の構成要件に該当する行為を開始したものとみるのが相当であり、単に放火の予備行為をなしたにすぎないとする弁護人の主張は採り得ないところである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一〇八条に該当するので所定刑中有期懲役刑を選択し、情状により同法六六条、七一条、六八条三号により酌量減軽し、その刑期範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、同法二一条により未決勾留日数中一〇〇日を右の刑に算入し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人の負担とする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 石見勝四 牧山市治 上野茂)

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